大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和55年(ラ)768号 決定

抗告人 鈴木良

右代理人弁護士 岡村親宜

同 古川景一

相手方 住友重機械工業株式会社

右代表者代表取締役 西村恒三郎

右代理人弁護士 和田良一

同 美勢晃一

同 狩野祐光

同 青山周

同 山本孝宏

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告の趣旨は、「原決定を取り消す。抗告人が相手方に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。相手方は抗告人に対し、昭和五四年六月以降本案判決確定まで毎月二五日限り金一一万四七二四円の金員を仮に支払え。訴訟費用は相手方の負担とする。」旨の裁判を求めるものであり、その理由は、別紙抗告理由書のとおりである。

これに対する当裁判所の判断も、抗告人の本件仮処分申請は、被保全権利が存在することの疎明を欠き、かつ、保証を立てさせてその疎明に代えることも相当でないとした原裁判所の判断を是認すべきものとするものであり、その理由は、左のとおり補正するほかは原決定の理由説示と同一であるから、これを引用する。

一  原決定二枚目―記録三丁―裏六行目から七行目まで「債権者との労働契約が事務的労働に服せしめる趣旨のものでなかったこと、」を、「抗告人が相手方会社のいう造船技能職(現業職に属し、いわゆる現場労働である。)として雇用された者であることから、事務的労働に服するには、別異の労働契約上の合意にもとづいて相手方会社のいう現業職から事務職へ転職することを要するものであること、」と改める。

二  原決定八枚目―記録九丁―表一二行目「債務者会社は債権者の就労を許可せず、」を削除し、これに替えて、「(三) 抗告人は、相手方会社との雇用契約にもとづいて現業職たる造船技能職として昭和四五年四月採用時いらい小組立取付職の労務に従事していたのであるが、昭和五一年三月ころ罹病した慢性腎炎の小康的鎮静と再発的亢進とのくりかえしにより、小組立取付職の労務の負担に堪えられなくなったばかりでなく、その雇用契約上就労すべき職種に属する労務で小組立取付職以外の軽作業程度のものについても、通常人と比して、労務の給付が、かなり不安定であり、かつ、量的にも劣る労務の提供しかできないような就労状況が昭和五二年八月から昭和五四年五月に及ぶまで続いていたこと、その間抗告人の主治医である川崎協同病院内科医師宮下勝政の診断所見で、抗告人の就労の可否・程度等につき過労を避けるなどの指示事項を守りながら「今までの現場労働に復帰することは可能」であるとした前記昭和五二年七月四日付及び昭和五三年一月一八日付診断書記載があるが、相手方会社浦賀病院予防科医師で相手方会社の産業医(労働安全衛生法)である関尾秀一のより慎重な診断所見に従い、相手方会社は、宮下主治医の右にいう「今までの現場労働」すなわち小組立取付職の労働よりかなり軽易な作業である工場内の通路のペンキ塗り(安全区分線を標示するためのもの)、ブロック材の切断面のグラインダーかけ、掃除等に抗告人を従事させてみたものの、病状は好転せず、ついに、宮下主治医も、前記昭和五三年六月二六日付診断書においては、従前判断したような「今までの現場労働に復帰することは可能」とした所見を、「現場労働は現在までの経過をみると当面しばらくはひかえ、より軽作業従事の方が好ましい」との表現をもって修正せざるをえなかったように、抗告人の腎炎の症状は宮下主治医の診断の域を超えて推移していたこと、抗告人は、もっぱら軽作業労働に従事するため昭和五三年七月浦賀造船所工作一課所属から追浜造船所工作部内業一課に転属したうえ、グラインダーかけ等の軽作業に従事するにいたったが、その就労状況が旧態依然として出欠常ならざるままで経過し、昭和五四年二月一九日以降は欠勤を続けて同年五月まで及んだことなどから、もはや抗告人の腎炎は小康と再燃とをくりかえしてやまない持病と化したものとみるほかないとして、相手方会社は、宮下主治医の同月二日付診断書の「従来通りの就労が昭和五四年五月七日ころより可能」と考える旨の所見をも添えた抗告人の就労の申出に対し、」を挿入する。

以上によれば、抗告人の本件仮処分申請は、いずれも失当として却下すべきものであり、これと同趣旨に出た原決定は相当であって、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用の負担につき民訴法九五条、八九条に従い、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 田宮重男 裁判官 中川幹郎 新田圭一)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例